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「知ること」「知ってもらうこと」

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長男から学んだこと

「座位または起立保持困難の体幹機能障害」という診断名で身体に障害があるのですが、彼を通して多くを学び、多くの人とつながりを持つことが出来ました。その中でも特に『知るということ』『知ってもらうこと』の大切さを教わりましたので、少し押しつけがましいと感じられるかもしれませんが、お伝えさせて頂きます。

超未熟児として出産

妊娠28週で胎児は1000g程度に成長しますが、小さいながらに人間としての機能がほぼ全て出来上がるそうです。しかし、お母さんの胎内で別の命が宿ることになりますので、免疫的には異物という判断をされてしまい、赤ちゃんに悪影響が出てしまうため、母親の体は一端免疫力を大きく低下させるそうです。長男の妊娠中、ちょうどこの時期が正月と重なったのですが、そこでほんの少し生ものを食べたことが原因と思われる食中毒になってしまいました。妊娠期間中の母体に関して正確な知識をもっと『知ること』が出来ていれば…と考えてしまいますが、こればかりは取り返しがつくものではありません。でも、同じようなことが起きないためにも少しでも多くの人に『知ってもらうこと』は出来るのではないかと思っています。

のちに「リステリア菌」という細菌が原因であると判明するのですが、この細菌はどこにでもいる常駐細菌で感染力は非常に弱いとのこと。ただし、日和見感染といって、お年寄り、小さな子供などを含む免疫力が低下した時に感染する特徴があり、妊娠28週だった私の妻がちょうどそのタイミングにあたってしまったようです。妻本人も具合が悪く胎動が少ないため、かかりつけの病院に向かい検査をお願いしました。一度はインフルエンザを疑われ安静にしてくださいと返されかけましたが、妻の強い要望でお願いし詳しく診てもらうと、お腹の中の長男は脈が200を超えていて、NICU(新生児集中治療室)がある病院へと救急搬送され出産することとなりました。

片手に乗るほどの小さく1080gで生まれたのですが、敗血症という血液全体が細菌感染している状態でCRP(体内で炎症反応や組織の破壊が起きているときに血中に現われるタンパク質)が20を超えていました。CRPは健康な状態で0.1を下回り、肺炎で5.0程度であるとのことで、かなり危険な状態。原因の特定や病状の正確な診断をしている時間はないという医師の判断により髄膜炎という最も重い病状を想定した抗生剤の投与がすぐさま開始されました。『知らない』ことの連続であり、『知る』ことの連続でした。最悪な状態は回避されましたが、身体の麻痺と“水頭症”という後遺症が残り、NICUにおける6か月間の入院と脳外科における“シャント手術”を受けました。この期間中、NICUにおける看護師さんと主治医の先生の寝る間を惜しむような治療を目の当たりにし、当時の職場でもサポートをしてもらい、本当にたくさんの人に支えられていることを『知ること』が出来ました。本当に感謝するばかりです。

水頭症について

脳の中では、脳室という場所で脳脊髄液(髄液)という無色透明な液体が一日におよそ500ml作り出されています。この脳脊髄液は、脳室の中から狭い道を通って脳の表面に流れ出て、最終的には血管の中に吸収されます。そして、常に循環する新しい無菌状態の髄液で頭蓋内は満たされています。“水頭症”とは、脳脊髄液の血管への吸収が不充分になったり、流れ道がつまったりして、脳脊髄液が脳室の中に通常より多量にたまってしまった状態で、脳を圧迫することになり脳の働きに悪影響を与えてしまいます。 “シャント手術”は、たまってしまう脳脊髄液を体内の他の場所へ逃がしてやる手術で、脳脊髄液の流れ道を新たに作る、いわゆるバイパスのようなものです。この“シャント”は髄液量を調製するバルブが右側頭部に埋め込まれており、体外から磁石で設定を変更できる仕組みになっています。そのため、バルブの誤作動を防ぐために、携帯電話のスピーカーやイヤホン、冷蔵庫や電子レンジのドアなど磁石を内蔵する製品をバルブに直接触れさせないような注意が必要ですし、バルブへの強い衝撃も避けなければなりません。(※現在は磁気の影響を受けない素材のものもあります)

正直なところ、長男が生まれるまでは私自身も、脳と髄液の状態をはじめ“水頭症”は『知らない』病気でしたし、“シャントは”『知らない』手術でした。しかし、長男の健康のためにはシャントについて正確に『知ること』そして共に生活する人を始め出来るだけ多くの人に『知ってもらうこと』が同じ病気を抱える人にとって役に立つと思いますので、今回紹介させていただきました。

急性脳症で入院

その後、ハンデはありつつも元気に成長してくれていたのですが、2歳の夏に原因不明の急性脳症となり、神経の伝達がうまくいかず首から下に全く力が入らなくなってしまいました。2度目の危機です。長男の誕生を機に色々と勉強もしていたつもりでしたが、もっと多くの知識を『知っておく』ことが出来れば回避できたかもしれない…と思ってしまいますが、こちらの病気は今も原因が分かっていません。このことで大学病院の小児病棟に入院し、病気に向き合い頑張っているたくさんの子供たちと『知り合う』ことが出来ました。そして、半年近い入院生活をまたも看護師さんや主治医の先生をはじめ、沢山の人に支えられて見事回復してくれました。よく笑いコミュニケーションを取って相手を喜ばせることが好きな彼の性格は、病院内で沢山の人たちに囲まれて3歳までの大半を過ごしたからなのかと思うと、身体にハンデのある彼には大きなメリットであり、今となってはとても有り難い環境だったのかもしれません。

幼稚園での経験

幾多のピンチを乗り越えた彼も車椅子に乗って年中から1年遅れで幼稚園にも通いました。“普通ではない”という表現が正しいかは分かりませんが、自立歩行が出来ない少数派もしくは珍しい存在であるため、子供たちからは「なんで歩けないの?」という率直な質問が襲い掛かります。辛い質問ではあるのですが、そこでしっかり説明し『知ってもらう』と幼稚園の子ども達は素直に受け入れてくれます。大人になってしまうと、どう接すれば良いだろう?と考えだけを巡らせて、行動になかなか移せないと思いますが、子供たちは「こうしてあげればいんじゃない?」と先生に提案し率先して、新たに適切な関係性を築いてくれます。

このあたりから、考え方が大きく変わりました。極端な言い方をすれば、障害のある方との生活は一般的に隔たれている気がします。実際に、自分もこれまでは障害のある方と接する機会がほとんどなく、どう接すればいいか良く分かりませんでした。でも、それはきっと、その方達のことを『知らない』ということが一番の問題だっただけかもしれないと考えました。親として、長男が好奇の目に晒されることが可哀想ではないか…と考えた時期もありましたが、逆に正しく『知ってもらうこと』を妨げることが、彼にとっては可哀そうなことなのではないかと考えるようになりました。私個人は、どちらかと言えば人見知りで自ら前へ出ることが得意なタイプではありませんでしたが、長男のことについては積極的にアピールしています。自宅が所属する自治会のイベントなどにも積極的に長男と共に参加し、地域の人にも長男の存在と状態を『知ってもらう』ようにしています。震災も経験しなおさらその意識も強まり、継続することで、今では声をかけてくれる方も増えてきたので、とても安心しています。

小学校へ進学

晴れて小学校にも入学し、現在小学3年生になりますが、入園を受け入れてくれた幼稚園が少し離れた地区にあるため、残念なことに幼稚園で長男のお手伝いをしてくれたお友達とは1人も同じ小学校へ入学することは出来ませんでした。しかし、お友達はきっとこれからの人生で同じような障害をもつ方と出会えば、自然に手を差し伸べてくれることと思います。そしてまた、長男が通う小学校の同級生も初めこそ面食らうとは思いますが、『知ってもらう』ことを続けていれば、いつの間にか素敵な関係を構築し、見慣れなかった光景が自然と日常になっていくことに期待をしています。不安もありますが、彼が新たな社会に飛び出して飛躍するのを期待しているところです。

最後に

最後になりますが、長男を通して学んだことは、当たり前のことかもしれませんが『知ること』『知ってもらうこと』は、生活する中で、特には人と人の関係性を築く上でとても重要であるということです。この文を書かせてもらうにあたり改めて整理できました。今回、『知ってもらったこと』で、何かを感じてもらったり、何かのお役に立てれば幸いです。

引用「オランダへようこそ」

そして、「コウノトリ」という小児医療が題材の漫画を原作としたテレビドラマでも紹介された、素敵な詩がありますので紹介し、締めさせて頂きます。

「オランダへ、ようこそ」
作:エミリー・パール・キングスリー

訳:伊波貴美子
私はよく障害を持つ子供を育てるって、
どんな感じか聞かれることがあります。
障害児を育てるというユニークな体験をしたことがない人が、
理解して想像できるようにこんな話しをします。

出産の準備をするというのは、
すてきな旅行の計画をすることに似ています。
例えば、イタリアへの旅。
旅行ガイドを数冊買い込み、現地での行動を計画します。
ローマのコロシアム、
ミケランジェロのダビデ像、
ベニスのゴンドラ。
簡単なイタリア語を覚えるかも知れません。
とても、わくわくします。

そして、何ヶ月も待ちに待ったその日がやってきます。
あなたはカバンを持って、いよいよ出発します。
数時間後、あなたを乗せた飛行機が着陸します。
スチュワーデスが来て、
「オランダへようこそ。」と言います。

「オランダですって?」
と、あなたは驚きます。
「オランダってどういうこと?私はイタリアへ行くはずだったのよ!
ずっと前からの夢だったのよ!」
しかし、飛行計画が変更になり、オランダへ着陸したのです。
あなたはそこに残らなければなりません。

ここで考えて欲しいのは、あなたは、不快で汚くて、伝染病、飢饉や病に侵されたひどい場所に連れてこられた訳ではないという事です。
ただ、ちょっと違う場所であるという事です。

そこであなたは、新しい旅行ガイドを買わなければなりません。
そして、全く違う言葉を覚えなければならないのです。
また、今まで会ったことのない人々に出会うことになります。

ちょっとだけ違う場所へ来たのです。
イタリアに比べて、時はゆっくりと過ぎていき、イタリアのような華やかさはありません。
でも、しばらくここにいて息を深く吸ってみると、周りをみわたすと・・・・・
オランダには風車があることに気がつきます。
チューリップも。
オランダにはレンブラントもあります。

あなたの知人たちは、イタリアへ行ったり来たりして、とても楽しい時間を過ごしたと自慢します。
あなたは残りの人生、こういい続けるでしょう。
「私もイタリアへ行くはずだったの。そのつもりだったの。」

イタリアへ行けなかった痛みは癒えることはないでしょう。
失った夢はあまりにも大きすぎるのです。

しかし、
いつまでもイタリアに行けなかったことを悔やんでいると、
オランダのすばらしさや美しさを、
楽しむことは出来ないでしょう。

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます!

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コメント

  1. 最長老 より:

    最後に添えられた詩。会社の研修である講師に教わった「置かれた環境を楽しむ」に似ていて驚いているところです。仕事で上手くいかない時、遅くまで残業する時、失敗する時、色々あると思います。その時、この状況を楽しもうって考えるようになりました。
    そしてもう一つ「楽しくなければ成果は上がらない」という事です。嫌々やっていても、上手くいく確率は下がると思うんです。実際、考え方を変えた私は、会社の昇格試験にも一発合格する事ができました。
    ライスさんが置かれた状況は計り知れず、安直な助言などおこがましいですが、私が言わずとも、今を楽しんでおられるなと感嘆しております。これからも色んな事があると思いますが、お子さんと楽しむ事を忘れずに歩んで頂ければ、自ずと明るい未来が開かれていくんだと信じております。

    • rice460 より:

      最長老さん

      バタバタとしていて落ち着いて返信できず、それでは失礼かなと思い、今になってしまいましたm(__)m

      嬉しい言葉の数々本当にありがとうございます!こうやって発信することには少なからずの勇気も必要ですが、最長老さんのような反応はとても嬉しく発信して良かったなと切に思います。

      おっしゃる通り、僕もこの詩に大きく救われ、まさに楽しむことの重要性を痛感しました。そして、何よりそれを実践してくれている息子をリスペクトしています。

      なにもかも楽しんでいこうと思います♪
      最長老さんも無理せず、くれぐれもお体には気をつけてください♪